ビッグデーターから見える大規模災害 今後の活用は?

研修資料
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 10月3日は、災害救援ボランティア推進委員会主催による、NHK報道局社会番組ディレクターの阿部博史氏の講演会に出席した。
阿部氏は「NHKスペシャル」などを通じて、3・11を起点として起こった、災害時の「人」や「モノ」の動きを主に、東日本の空間を飛んでいた膨大な「データ」を分析して浮かび上がった事象の追認(確認)と、このデータの集合体を「震災ビッグデーター...」として捉え、近い将来、日本を襲うであろう「巨大地震」に対してどのような「手」を打つことが出来るのかについて私たちに課題を投げかけてきた。

 当時のデータ…携帯電話やカーナビの発する「位置情報」や被災者、帰宅困難者の発した「ツイッター」情報、報道クルーが被災地に入って取材したデーター、撮影したデーター、自衛隊機、警察などが空撮する被災情報(映像)を重ね合わせ、その一つ一つの情報(動き)をプロットして出来る「情報の塊」の動きを「被災情報」としてスクリーンの上に映し出して私たちに投げかける。

そのデータは、すべてのデーターではなく、現在の統計学的に見て信頼性を維持できる程度のデーター量で分析をする。当然、個人情報的な要素はすべてのぞかれたデーターの粒である。
3・11の14時46分以前の情報の粒から構成されるゲルの動きは、身体の中を流れる血液のような動きが見える。アメーバ―のような動きを見せてくれていた。

 14時46分。その瞬間、東日本の情報の流れが止まってしまう。
そして、その直後から、それらの流れは今までとは全く異なる動きとなって表れてくる。特に、福島県下大熊町、二葉町を中心とする動きは・・・・「避難」という流れに変化して内陸部へと動き出す。
スクリーンの上を「動いている情報」の一つ一つに粒は「生きているよ」という情報として捉えることが出来る。

ところが、発災後しばらくたつても石巻を中心とする地域の情報の流れには大きな変化がない。それもやがて「避難」という流れに変わるが、後日、津波が襲ってきた時刻と重ね合わせると人々は、津波を見てから初めて避難行動に移ったことが見て取れる。地震⇒後片付け行動⇒逃げ遅れということが証明されているように見える。

 俯瞰して三陸一帯を見てゆくと、情報が映らない地域が浮かび上がってくる。壊滅的な被害を受けた女川町や牡鹿半島付近では一瞬のうちにすべてが流されてしまったことが見て取れる。まったくの情報空白域である。

これらのシーン「面」として捉えて、時間軸で東日本の情報の塊や帯の動きを動かすことによって「死んでいる」、「どうなっているかわからないよ」「生きているよ」という叫びが伝わってきた。

 近い将来、首都圏を襲うとされている地震、さらには東海地震、南海地震これらがやや時間をおいて起こるとされている東南海地震の時に、この検証結果が・・・・何としても活かされることが今回、NHKが取り組んだ「震災ビッグデーター」は、私たちへ「さあどうするのですか?」と近未来の歴史に問いかけているのではないかと感じた。
今までは、企業が持っている膨大な様々なデータは、様々な縛りの関係でこのようにして提供されることがなかったが、大規模災害分析ということで提供されたことは日本の「災害学」が大きく進んだことが証明されたような感じを受けた。NHKがこれほど大胆にノウハウを公開したという行動にも感動すら感じた。
公開が進歩につながるのだな。

私も1960年代から、黎明期のコンピューターの利用分野に取り組んできた一人としてデーター解析、活用手法の分野がすでに私などには手の届かない高みに上って行ってしまったことに一抹のさみしさを感じ得なかった。老いを感じた。