能登半島地震・水害第二次現地活動報告です


 11月22日 ざま災害ボランティアネットワーク被災地支援「たい焼き」プロジェクト 第二陣(6名)は輪島市に向かって出発しました。地震と水害の複合災害で輪島市は大変な思いをされているとの報に接していました。

  今回の活動先は、輪島市支援調整課の尽力により、9月21日の集中豪雨で二重の被害を受けた輪島市町野町の第一団地(11/23)と同じく門前町道下(とうげ)第一団地(11/24)となりました。

 

 私たちは、6月に第1陣の「たい焼きプロジェクト隊」を、七尾市田鶴浜センターと、珠洲市正院団地に入り活動をしてきました。それから約5か月経過し少しは復旧工事も進捗しただろうと期待して向かいましたが、9月集中豪雨で仮設住宅が浸水被害が出たり、道路機能が低下してしまい地震で緩んでいた地盤に大量の雨水が入り土砂崩れ、崩落が起きて河川がせき止められて周囲一帯が氾濫してしまうなどの災害が起きてしまったようです。

 

 11月23日。車は、七尾市を通過して、「のと里山空港」を目指して進みましたが、ところどころ新しい通行止め個所があり、ナビゲーターのKさんは地図と首っ引きでドライバーのKさんに指示を出されていました。それでも何とか5時30分頃には空港のフードコートの駐車場に到着しました。出発から約7時間、約500Kを走り抜いてきました。

空港のフードコートは、先月からボランティア活動者の方に朝食を提供する店がオープンしていました。6時過ぎに開店。早速、6人各々注文をして朝食にありつくことができした。

 

 輪島市町野町は、輪島市から249号線に沿って走ることができればさほど時間がかかることはありませんが、249号が機能不全のために移動はすべて山越えの道路しかありません。里山空港を6時40分出発。町野町に入るには山越えで約40キロ、その道路は町野川が氾濫して道路が傷んでしまい思うように走ることができません。小雨が降ったり止んだり。止むと陽がさしてきて見事な虹が大きな輪をかけてくれます。道路の一部は片側交互交通の区間もありました。路肩も崩れているようなところも見えます。ハイエースの最大級のバンなので慎重に進みます。約50分を要して本日の活動場所である「町野町第一団地」へ到着この施設は第1、第2団地を合せて268戸の仮設団地です。

 

 掲示板には私たちが輪島市の支援調整課にお願いしておきました「たい焼き」のポスターが貼られていました。すでに、管理人の方がドアを開けて下さり暖房もかけられていました。挨拶もそこそこに荷下ろしをして会場の設営に取り掛かりました。

ちょっと強めの風の中、作業をすること約1時間半で何とか活動の準備ができました。雨も上がりこれならばと待機すると、散歩帰りの方々から「もういただけますか?」のお声掛けがありました。小さな行列がいつの間にか長い行列になりました。

 

 たい焼きは、あんこと、宮城県の女川町で作られた「イチジク」のコンポート入りの2種類で対応しました。

「家族分いただけるのか?」 「隣に歩いてこれない人がいるのだがもらえるのか?」 「家族と、息子の子供たちは別の住まいに入っているのだけど・・・」などの声でテントの前は、たい焼きを中心に話し声、笑い声に囲まれました。座間市民から提供された「タオルパック」(小中学生のメッセージカード入り)も配りしました。

 

 私たちが、2011年8月以来、約13年間、各地の被災地でこの活動に取り組んでいるのは、この景色を見たいからです。

イチジクコンポート味の「たい焼き」は初めてだという声が・・・最後は、おひとり1枚限りにさせていただきました。

イチジクの「たい焼き」は人気沸騰で売切れてしまいました。こうして1日目の活動は約650枚を焼いて終えることができました。

 

 後片付けをして帰路に「輪島災害ボランティアセンター町野町サテライト」へスタッフさん用に「たい焼き」をお届けして今夜の宿泊先の輪島市内へ向かいました。これも、海岸道路が使うことができれば約1時間で行くことができまですが、山越えのルートでの移動です。17時過ぎに宿泊先のホテルに到着しました。ホテルの入浴施設も節水をするために大浴場は男性、女性交互に1日おきの利用となっていました。まだまだ復旧レベルです。入浴後、メンバーそろって夕食を楽しみました。ドライバーのKさんのパワーには驚きます。さすがに筆者の私は疲れました。

 

 11月24日。天候はまずまず。朝一番の作業は、宅配便の輪島営業所止めにしてありました、門前町第一団地の皆様にお配りする「タオルパック」を受領することから始まりました。11月22日の夕方に座間市の宅配便の営業所に預けた荷物が、23日の午前10時には輪島市の営業所に到着しているという・・・平時の流通経路は回復しているようです。車の座席は天井まで届く満載で今日の活動予定の輪島市門前町道下(とうげ)第一団地へ向かいます。

ここも、海岸沿いに走れないので山回りで門前町へと向かいます。約1時間の行程でした。道下第一団地は279戸でした。

8時45分 集会場に到着すると細かな雨が落ちていました。作業を開始すると間もなく、雨が降っているにもかかわらず人が並び始めました。挨拶をして「配布は9時半ぐらいになるのでお家で待つか、集会場で待っていて」といっても、私たちの作業をする姿が面白いのか、その場で雑談をする姿が続きだんだん列が伸て行きました。

 

「たい焼き」焼成担当のYさんからOKサインが出ました。横並びの行列が一列になり約30名ぐらいの方が並び始めました。

「たい焼き」は1回の作業で焼けるのは10枚です。一人が3枚となれば、3人しか進みません。この作業は、欲しい人が並んでいるからと言って時間を短縮するというわけにはいきません。大体1回の作業が8分程度…焼き手のYさんは黙々と焼きます。まさに、焼いても焼いても…状態になります。仕込みも大変です。1回4キロの粉を溶いて調子を整えて焼き方に渡します。4キロで約130枚から150枚を焼くことができますが、1人で5枚となると30人にお渡しすると「種」がなくなります。その間はもっぱら女性陣の出番で並んだ方との交流が続きます。ここでも、座間市民の方からの「タオルパック」と中に入れさせていただいた小中学生からの応援メッセージが話題になります。

 こういう時に活躍するのが、被災地活動のベテランのⅠさんの話術が光ります。始めて活動に参加したKさんも何とか話をしようとしますが慣れないこともあって戸惑っているようですが、手を休めることなく、焼きあがったたい焼きを小袋に入れて、保温用のスチロールの箱に納めてゆきます。チーム全体が一体となって流れています。時々雨が上がり青空が見えます。

行列は、女性のお客さんの方が多いです。時々男性が来ると「おめー。どこに住んでるんだ」「俺は◎◎の何番だ」なんていう会話が聞こえます。この「コミュニティー再生活動」を目的として取り組んできたのは、この交流する姿を創るためなのです。

私たちは、このような「つながり創り」こそが被災地の再生エネルギーの一つになると信じて活動をしています。

 

 筆者の私は、団地内の設備、構造、配置などを見させていただいています。私が、仮設住宅と初めて遭遇したのは、3・11の大熊町から避難された会津若松市内の仮設住宅群でした。明らかな急ごしらえの、工事現場の飯場と同じような作りでした。土台は、コンクリートの礎石を並べて床柱を立てて作られていました。外廊下などはなく、車いす用のスロープなどもありませんでした。壁面、床には断熱材などはありませんでした。縁側もなく、室内のアルミサッシの縁に座って一日を過ごす感じでした。アルミサッシの窓枠には隙間が見うけられました。急こしらえということはわかりますが、会津若松に避難された、大熊町の方は、冬にほとんど雪が降らない浜通りからの避難者で彼らが住むには過酷な環境でした。その後、順次建設された建物にはかなりの配慮がされて、各住戸ごとに二重の防風の仕切りも作られました。物置も追加設置されました。廊下もできスロープも準備されました。

 

 三陸沿岸各地に建設された仮設住宅も同じような作りでしたが、市町によっては、特産の木材を使った、木質系の仮設住宅も見られるようになりました。熊本地震、九州北部水害(朝倉市)、西日本水害の真備町、船穂町などをたい焼きで巡回してきましたが、仮設住宅を取り巻く進化は目に見えてよくなりました。阿蘇市では、おそらく市の予算を加えて建設されたと思われる建物・・・継続して使うように木質系で、高齢者専用のグループホーム形式の建物も見ることができました。集会室も進化してきて、椅子、テーブル、大型TV、洗い場、給水設備などのほか、何よりも使いやすいトイレもつくようになりました。(仮設住宅としての使用期限後は市営住宅に転用)

まあ、このような「やられた後」の対策も必要ですが、使用年限が決まっている「仮設住宅」に費用をかけるのであれば、既存住宅に足して災害にやられない住居(耐震診断および耐震補給など)への助成金を増やす方が出費、人力の投入がいらなくなるのではないかと思うのですが皆さんはいかがお考えになりますか。壊れた家屋、家財の災害ゴミの処理作業、費用も馬鹿になりません。それを片付けるボランティアも大変な状態になっています。

 

 団地の管理人をされている方と集会場の中で地震被害の直後から、そして避難所生活、仮設への移住までの経緯の話を聞かせていただきました。大雨の時の様子をお聞きしましたが、地震からようやく生活が軌道に乗り始めた時に 地震で緩んだ裏側の斜面から押し出されてきた土砂、木々の崩落の音の恐怖は半端なものではなかった。俺の人生は終わったと思ったという話もありました。

 

 この団地のつながりの強さは素晴らしかったです。管理人さんのほかにその活動をサポートする有志の方の連携が強く感じました。今日は出かけていて不在の方々にも「たい焼き」を届けたいという話でしたのでお渡しました。ここでも、ご近所にお住まいなられている方たちにもお配りしました。約600枚を焼きタオルパックもお預けしました。清掃を終えて活動場所を辞去しました。なんだか後ろ髪をひかれる思いでした。

 

 帰路、門前町の起こりとなった曹洞宗総持寺の総本山見学をしました。門前町の名前の通り総持寺の門前町として栄えてきた町です。本山の山門前に町役場があります。休日でしたので堂々と寺社の中には入ることは出来ませんでした。寺は地震で大きな被害を受けていました。山門がかろじて礎石の上に残っている状態でした。灯篭なども転倒して土台の石もそのまま参道に転がっていました。朱色の鮮やかな太鼓橋も崩れてしまっておりました。夕暮れ迫る中の見学?でしたので細部を拝見することは出来ませんでしたが心ばかりのお賽銭を投じてまいりました。果たして復興ができるのか案じられました。

 

 作業を終えた車の中は、山ほど詰め込まれていた支援物資のタオルの入ったスペースが空いて明るいく車中から両側の景色を見ることができるようになりました。おそらくドライバーのKさんの握るハンドルも軽くなったと思います。ホテルに到着しましたが休日ということでホテル内のレストランは休業、市内の店もほとんど休みということでホテルから100メートルほど離れた居酒屋さんに予約を入れて食事をすることにしました。活動のまずまずの成功を祝して乾杯して活動の反省? これから何をして行けばよいのかなどの話で盛り上がりました。人で不足で料理が出てこなかったのですが突然、怒涛の如く提供されたおつまみ、食事にかぶりつきました。そして、翌朝、出発時刻までの間、市内を歩いて見学することにしてベッドに入りました。

 

 8時。食事を終えて荷物を車に積み街中を徒歩で見学をしました。筆者は前回の活動には参加できませんでしたので写真で記憶している風景と今の様子を比べて歩きました。10ヶ月を経過してまだこれしか片付いていないのかというのが本当の気持ちでした。

写真で有名になった漆関連事業をされていたG社の倒壊したビルでは解体工事が行われていました。しかし、重機は入っていても、作業はほぼ職方さんの手作業です。まだまだ当分かかりそうです。輪島市は市全体が隆起したために津波による被害からは逃れることは出来たものの、火災で町の中心部がなくなってしまいました。焼け跡の整理は進んでいましたがその先どうするのか?町全体の都市基盤計画を策定中なのでしょう。目に見える復興には着手していないように感じました。

 

 ホテルに戻り9時30分に約束しておりました輪島市社会福祉協議会を訪問させていただきました。実は、私たちの活動の源泉は公益社団法人SL災害救援ボランティアネットワークという団体のセーフティーリーダー(通称SL)という組織の一員として座間市でNPOを設立して活動をしています。

今回の能登半島地震では発災から10日ほどで機関決定して石川県のご当地キャラクターである「ひゃくまんさん」の使用申請をしてお許しを得て「ひゃくまんさん缶バッジ募金」を開始しました。このほか会員の提案による「頑張ろ―ISIKAWA]、石川県の物産で有名な「寒ブリ」にかけて「鰤」をデザインした「缶ブリバッジ」を作って募金活動をしてきました。この募金の一部を輪島市社協さんへ「活動支援金」として納めさせていただきました。

 

 事務局長のT氏が応接してくださり輪島市の現況を説明してくださいました。

T氏の1月1日の発災からの行動から始まり社協事務局長としてのご苦労の話には全員何とお答えしたらよいのか沈黙せざるを得ませんでした。この数か月、一般ボランティアはぼつぼつ入ってきてくれるようになっているが、何分にも技術系ボランティアの数が少なくてニーズが上がってきても対応ができない状況が続いている。本来は建設業者が対応する案件であるが業者自体が被災していることや、他の場所の事業を請け負っているために地元での作業に従事できない状況がある。

それでも、あの水害さえなければ何とかなったが、9月21日の水害で、災害救援ボランティアセンター自体が水没、周辺の仮設住宅の方々も胸までの水の中を避難せざるを得なくなってしまったことが痛手だった。沿岸部の道路(249号線)が使えないのでどこへ行くのも半島の中の山道を走って市内移動、隣町へ移動するという効率の悪い活動しかできない。現在、260戸の仮設住宅を待っている状況(11/14)。支援要請件数に対する需要数は約50%程度である。この先どこまでの時間と人員が必要になるのか?頭が痛いとの感想を漏らされていた。ご苦労をどのようにしてねぎらったらよいのか言葉に詰まる場面もありましたが、引き続きできる範囲でご支援させていただくことを約して辞去しました。

 その後、中能登町社会福祉協議会へ向かいました。この地域は比較的被害は少なかったようですが、ようやく復興段階に差し掛かる状態のようでした。石川県を通じて座間市からのタオルパック支援を受けたいとのご返事を受けたので、社会福祉協議会へ立ち寄りお見舞いと寄付目録の贈呈を行いました。玄関には座間からの荷物が玄関に届いていました。

 

 これで、今回の活動のすべての計画が終わりました。ご苦労様でした。

今回の活動は、ざま災害ボランティアネットワークが単独で行うものではなく、被災地を想いながら市内の方々の心をまとめて行ったものです。このような活動は、2011年3月の東日本大震災の支援を皮切りに、2016年4月の熊本地震、2018年7月に発生した西日本豪雨災害(岡山県倉敷市真備、愛媛県、広島県)への支援、2019年宮城県丸森町水害支援、2021年静岡県熱海市の土砂崩壊災害支援などの経験の中から積み重ねてきたものです。

 

 様々な被災地の支援の支援活動の中で得た貴重な経験をいかにして、この座間市並びに県央、相模原地域に「移植」してゆくかが大きな課題です。伝承しなければ活動は「過去の物語」になってしまいます。

多くの人は簡単に「継続は力なり」と言われます。しかし、「継続させる力」は誰が誰に対して行ってゆくのか…その源を生み出す力は誰が起こし、維持してゆくのか・・・・これこそが地域の減災・災害対応力につながると思います。

 

 確かに子育て、教育、保健、生活支援などの施策は必要ですが、基礎自治体は、土台を固めておかなければ何をしても砂上の楼閣になってしまうのです。国でいう「国防力」だと思います。自治体ではそれを「危機管理力」と呼んでいます。すなわちそれが基礎自治体の「基礎力」を問われるのだと思っています。私たちの活動はささやかなものだと思いますが、それでも愚直に取り組むしかないと考えております。

今回の活動に参加、支援いただきました皆様方にお礼を申し上げます。ありがとうございます。

また、年が明けた後に第3陣の活動チームを派遣してまだ、被災地の風、匂い、被災された方々の思いを感じたことのないメンバーにも感じてもらう機会を作ってゆきたいと思います。

 

この活動は共同募金会ボラサポ・令和6年能登半島支援助成金によって行われています。



能登半島地震第一次活動現地報告です


現地活動報告です。(ブログに飛びます)

15日は七尾市、16日は珠洲市でした。

 

#ZSVNたい焼き

#ボラサポ

#頑張れ能登

#被災地復興支援

#寄り添うたい焼き

#元気と笑顔


能登半島地震支援たい焼き隊出動します


            ZSVN黄金のたい焼き
            ZSVN黄金のたい焼き

2024年1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」の被災地での活動を開始します。

この活動は、2011年3月11日に発生した東日本大震災を契機に横浜で活動されていたS氏のお許しを得てざま災害ボランティアネットワークたい焼きプロジェクトとしてスタートしました。詳しいことは、ブログを検索してください。今回の活動は、6月15日(土曜日)七尾市田鶴浜コミュニテーィーセンターで、6月16日(日曜日)に珠洲市正院第一仮設団地 集会場前で「たい焼き」を焼いて提供する活動です。焼きたてのたい焼きはおいしいです。

多くの被災地で皆様に「元気」と「笑顔」を贈ることができたと思っています。

#頑張れ能登

#被災地復興支援

#寄り添うたい焼き

#元気と笑顔

#ZSVNたい焼き

#ボラサポ

 

珠洲市、七尾市の方々にもきっと喜んでいただけるのではないかと思います。活動のチラシは下記からダウンロードしてください。

ダウンロード
2024/6/15 七尾市
七尾市田鶴浜チラシ.pdf
PDFファイル 787.6 KB
ダウンロード
2024/6/16 珠洲市
珠洲市正院小学校仮設チラシ(03).pdf
PDFファイル 794.2 KB

東日本大震災たい焼き活動


被災地での活動については

活動ブログ被災地支援をご覧ください。

たい焼きPTをご覧ください。

 

写真は、6年間の東北支援活動を終えて、一番最初に入った岩手県大槌町吉里吉里の公民館の活動写真です。

何もかも流されてしまった吉里吉里の町も、後ろにある復興住宅(台湾赤十字支援)も出来上がり、ようやく復興の兆しが見えました。

これで大丈夫と思いながらフィナーレの写真を撮りました。長かったけど、いろいろと勉強させられました。この経験を座間の活動に活かします。ありがとうございました、