座間市社会福祉協議会と、ざま災害ボランティアネットワーク(ZSVN)との共催で開催してまいりました27年度の「災害救援ボランティア講座」の三回目の科目は「復興地に生きる」というテーマで、宮城県女川町で、震災のその日から家族を守り、近所の人々を守りながら子供、高齢者とともに約5年の間ボランティア活動者として活動されている「ゆめハウス」を主宰している八木純子さんをお招きしました。発災から今日までの日々の活動と、5年間に感じたことがらをお話をいただきました。
ZSVNと八木純子さんとの出会いは「たい焼き」でした。
震災から1年半、2012年秋のことでした。女川は寒さが忍び寄っていました。
女川の高校の下の道路のわきのコンテナハウスの中で、八木さんが、生活の基盤を失ってしまった高齢者に生きる力を甦らそうと始めた古布を材料にした「布草履」を作り女川町を訪れる方々へ販売を始めました。
支援者の力もあり、各地で始まった復興祭りの会場にも出荷が始まりようやく笑顔が戻り始めました。そこで、八木さんは、分断された人のつながりを何とか再構築しようということから、女川町から姿を消してしまった「お菓子」でお茶のみ場を作ろうと考えていた時に、ご縁があって被災地で「たい焼き」を通じて地元に元気を差し上げる活動をしていた私たちZSVNと出会ったのです。
八木さんのお話を伺って、私たちの力がお役に立つのならばとたい焼きの機器一式をお貸しし、材料の手配や、技術の指導をさせていただきました。八木さんのお母さまや、仲間のばあちゃんに秘伝の技を伝授しました。
また、布草履の材料となる古着Tシャツを、座間でたい焼き活動する中で回収の作業も始め、社協さんを通じて提供をさせていただきました。
次に八木さんが、取り組まれた、ご実家のあった女川町高白浜の開墾作業にも中高生ボランティアを3年間にわたって参加させていただきました。
正直言って、津波被害で28戸の集落がすべて流されてしまった高白浜に連れて行っていただいたときに本当にできるのだろうかと思いました。その入り江で唯一残った高台の作業小屋を拝見した時に…半信半疑でした。
その後、仲間を連れて、チェーンソーで木の根を切り、手作業で掘り起こす作業や大きな岩石を、大型のバールを使い、移動には鉄パイプのコロを使って畑つくりの作業の基礎部分のほんの一部を担当させていただきました。
その後、2013年夏から2015年の夏にかけて毎年子供たちは交代しながらも参加し続けてくれました。その子供たちが、2014年の夏にお伺いした時、バスを降りるなり「畑・・・・っ」と叫びながら飛び込んで行った姿は忘れることができません。
お伺いするたびに、たい焼きの焼成レベルは上がりました。ばあちゃんたちの手(技)と支援者の方々の力によって女川の名産品であるサンマをイメージした、「サンマhaたい焼き」(現在は改姓して「さんまな焼き」)に進化し商品として定着するまでに至りました。
私たちも、技術を移転した責任もありますので、衛生管理、原価管理、製品品質などのチェックを定期的にさせていただいています。
さらに、移動販売車の提供も受けて今では、横浜山下公園まで進出するまでになりました。そして、何よりもうれしいのは、次代を担う若者がその作業に従事していることなのです。
私たちの支援がすべてではありません。八木さんが、日々コツコツと築いた人脈が今の施設へと進化したのだと思っています。
私たちは、福島でも岩手でもそして、女川や石巻でも黒子で活動することを目指しています。被災地・復興地では支援活動をやっているぞということは、できる限り出さないように活動しています。座間では支援金をいただくためにも露出度は高めています。おかげさまで、たくさんの方々にたい焼きをお買い上げいただきそのお金でお手伝いを続けることができています。
その意味でも、いつか座間市でも八木さんの、今までの活動について知っていただく場を作ろうと考えていました。最近の八木さんは、お忙しくなり座間へ来るスケジュールをいただくのも大変になってきましたが、5年目を迎える前にと思いこの講座の一つの課目として設定させていただきました。
講演の内容は、災害というものがいかに大変なものなのか、これだけ津波の体験を繰り返してきた三陸でも、その教訓が生かされてこなかったこと、災害時に苦労したことなどについて、被災者の一人として生活感あふれる内容を話していただきました。
私たちの活動の中でも、約5年間の東北北関東での活動や、20余年前の阪神淡路での教訓を話してきましたし、それを疑似体験できる講座も行ってきました。しかし、5年間にわたって、様々な支援をいただきながら生活復旧・再建・復興の活動を実践してきた方の「言葉」や「思い」は受講者の胸の中にストレートに伝わったようです。
3月11日で5年を迎えます。この5年を転機に、復興地、被災地の様子はあらゆる場面で大きく変化することが予想されます。
比較的、復興の優等生といわれている女川町でも、住宅の再建は進みません。まだまだ多くの方々が仮設住宅で生活をしています。住宅を失い、自宅の再建をあきらめた高齢者の方は、生まれて初めて「家賃」を支払う生活が待っています。わずかな、年金の中から仕事の場もない中で生活の最も大事な住居に対してこのような壁で苦労されていることは意外と知られていません。
都市部の方には当たり前だよ・・・と思われることも、地域によってはこのような生活障がいが出ています。
八木さんはこのような生活再建で困難な状況に陥らないように高齢者の仕事を創造することも考えています。助成金は打ち切られたり厳しくなることは事実です。すでに、先行きの目標を失ったNPOが解散し始めています。
この情勢下で地域の「困り人」をどのように支えてゆくのか・・・八木さんは講演の中で話されていました。
どうか「お金が動くようにしてください。皆さんが、東北へ来ていただき、観光で動いていただければお金が動きます。これによって生産が起きます。雇用ができます」・・・・まさしくその通りです。発災直後から活動してきたZSVNの活動も、たい焼きを通じて地域のお店に活気を出していただくものなのです。
参加者の方々からは、本当に良いお話を聞くことができた。女川町のことを調べて遊びに行きたい。この講座を通じてツアーを考えて欲しいなどの声をいただくことができました。ありがとうございます。
私たちは、この話を「良い話を聞いた」ということだけではなく、おそらくそう長くないうちに座間市にも来襲する首都直下大規模地震への備えとして生かして欲しいのです。八木さんのお話の中には私たちが、今すぐにやらなければならないヒントが満ち溢れていました。どうか「行動」に移してください。行動が伴わない「良い感想」は、「昨日の続きを生きている」だけであることをもう一度考えてください。
八木さん お忙しい中遠路お運びいただきありがとうございました。私たちもこれからも身の丈のお手伝いを続けさせていただきます。
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