今日の目的地の花田仮設住宅には7時40分につきました。寒いです。昨夜は小雪が降ったようであたりは雪がキラキラと輝いています。うっすらと積もった雪が一番危険です。車から降りるときが大事です。氷の上に雪が撒かれています。滑ります。
ここで、役場の担当者、ガスの会社の方と会うことになっています。
この仮設住宅には68戸、約120名の方が入居されています。今日の午前中は、ここをベースにして、隣の和田仮設(12戸)、町西仮設(24戸)に配達をします。12時にステージを畳んで、川を挟んだ向かい側にある寺西仮設団地(60戸)へ動いて、隣接する金山仮設(29戸)、大舘仮設(15戸)へ配達をする計画です。
この方式は、北部九州の水害の被災地だった朝倉市の活動の時に、現地の生協さんと編み出した方法です。
今回の活動にあたっては。ここに出ているような予告ビラを貼りだしていますが、入居者の方が高齢になっているために外に出ない(出られない)ので戸別配達をしながら安否の確認もしようということでやりました。
今日の、たい焼きの責任者のY君は、後輩メンバーに教えながらステージの組み立て、セッティング作業を始めました。そこへ役場の担当の方がおいでになりました。挨拶をして集会場の鍵を開けてもらいました。朝早くから申し訳ないと挨拶をしますと、「遠路はるばるありがとうございます」とのこと、おそらく週替わりに炊出しが入っているから、土日は休めないのだろうなと思いました。やがてLPGをお願いしていたガス屋さんも到着しました。
朝から元気に仮設住宅のスロープの除雪をしている方がおられました。管理人さんか、自治会長かなと思って話しかけると、私たちと同じ、岩手県から来られている「丸森に笑顔届け隊」と名乗る団体のMさんでした。岩手でお世話になったので今度は私たちがお返しをしなければと思って活動をされているようです。昨日はこの場所で陸前高田の広田湾の牡蠣を使った焼き牡蠣をふるまったようです。(遅かった)今日一日コラボで「にぎやかし」をさせてくださいとのことですのでこちらこそということになりました。また、丸森社協さんからは生活支援員の方が二人がお手伝いしてくださるとのことでした。
こうしてるうちにステージもできて、タネの仕込みが始まりました。
今日は、予定では700枚程度をと思っています。材料はたっぷりと持ってきています。最初に配達の仮設の分から焼き始めました。発泡スチロールの箱に詰めて2人で回り始めました。和田仮設は12戸です。これだけ広大な土地があっても、仮設住宅を建てる場所は少ないようです。まさか田んぼや畑の中には建てられないということで、被害を受けた学校の校庭、工場の余裕地等に立てることになるので住戸数は限られてきます。
2便の準備ができたところに、1回目の訪問をしたメンバーが戻ってきて「天気が良いこと。日曜日ということで家の片づけ作業に出ているようで不在者がかなりいるようだ」との話でした。10時になると、待ち構えていたように花田仮設の住民の方がボチボチと出てきます。一人2匹までという勘定で配布をしますが、遠慮して1匹でいいよという方が多いのに驚きました。子供たちも取りに来てくれます。
先ほどの、岩手からのボランティアさんが、個別に回って注文を取る感じで配達してくれます。私も何軒か回りましたが、やはり足が不自由で動けない方がいます。
・・・会津若松や釜石市の街中の仮設住宅のことを思いだしてしまいました。ドアをたたいても出てこないので、中のドアを開けると、置くのこたつの中から這い出てきて、私たちが提供する「すいとん」と「たい焼き」のお盆を持って涙を流していた姿です。
聞くとこの仮設は町中にある仮設なので「炊出しイベント」は全く入ってこない。スパーや商店はあるがよその話を聞くと見捨てられている気持ちになった・・・と言って涙していました。
これと、全く同じ状況があるのですね。お礼を言ってくれました。仮設住宅の居室を見てみたいとお願いすると中に入れてくださいました。
独居の人は、1DKタイプ、夫婦だと2DKタイプらしい。子供がいると3DKです。この基準は変わらないようでしたが壁や床に断熱材が使われていること、土台がH鋼を使ったことできしみ音はありませんでした。台所はPタイルなので少し冷たい感じです。
しかし、明らかに改善されていたのは壁です。あの時は、鉄板だけでしたので結露がひどく、部屋の中は湿気があり、それが夜は凍結する、水が下に流れて手作りの断熱材のプチプチのシートの下はカビが黒く出ていました。しかし、ここの仮設はそのようなことはなく壁もきれいでした。保温、防音もしっかりしているようでした。しかし、何分にもこたつを置いていたらそこが生活の拠点になり危険が見受けられました。
また、車いすを使って生活する住戸では、1DK車タイプ、2DK車タイプがあるようでした。玄関は最初から二重ドアなので履物が外に出ているということもなく、建物の横には、各住戸の番号が入った物置もあるようでした。駐車場も車いす対応のエリアが確保されていました。残念ながら自治会が出来ない悩みがあるようです。できるだけ同じ字の人を集めたが、1集落でも100人もいると顔がわからない人が出るので難しいと職員の方が言われていました。
外では、岩手からの団体が通信カラオケの機械を持ち込んで「泳げたいやきくん」のカラオケを鳴らして、自らが歌ってくれています。この歌は、不思議と耳に残るのであまり使わなくなりました。夜、寝るときに耳の奥で曲が流れるのです。そんな、懐かしい日々のことを思いだしながらたい焼きを配っていました。
焼き手のY君は絶好調で、「この席は渡さないぞ」という熱が伝わってきます。こうして、約3時間の活動を終えて次の仮設へ場所を移しました。
次の仮設は、有名なメーカーの工場の余裕敷地を借用して建設されたようです。寺内仮設団地(60戸)約80人が暮らしています。
会場となる集会室前にはテントが張られていました。山形県村山市から来られた「みどりの会」の方々の肉蕎麦と玉こんにゃくの炊出しのようです。早速、代表の方とご挨拶をして会場の設営にかかりました。
本日2回目。かなり慣れてきました。タネは前の会場で仕込んできましたのですぐに焼き始められます。すると、隣から差し入れがありました。生蕎麦を湯がいて肉入りのスープをかけたおいしい肉蕎麦です。息も切らさずに食べてしまいました。
ここからは、大舘仮設(15戸)、金山仮設(29戸)へ配達です。ベースの寺内仮設(60戸)はまだ、未入居の方が16戸あるようです。「たい焼きが焼けたよ」と呼びかけながら仮設の中を回ります。すると、ボチボチと出てこられます。また、例の岩手のにぎわしたい人たちが各戸を回って、何人分と予約を取って配達してくれました。
また、集会場わきのちょっとしたスペースにカラオケ機を据えて「泳げたいやきくん」の歌を歌います。それにつられて出てきます。まんざら効果がないとも言えません。ふと気づくと我がチームのTさんが歌っているではありませんか? だんだん慣れてきて高音部も声がひっくり返ることもなく歌います。そのうちに例のMさんとデュエットで・・・・盛り上がります。
私は、金山仮設に配達に行きました。ここは、旧丸森東中学の敷地内に建てられています。金山小学校は阿武隈川の支流の雉子尾川から100m以内の場所に建っていた学校で完全に水没してしまったようです。子供たちは丸森小学校の中に臨時の学校を置いて授業をしているらしいです。金山仮設団地は、旧丸森東中学校の跡地に建てられていて風当たりが強く寒い場所でした。狭い土地に肩を寄せ合うように立っていました。空き住戸も多く大変だなーと思いました。何よりも買い物はどうなるのだろうか?ということを感じました。車があればさほど苦にはならないまでも大変さを感じました。不在の方が多くて十分にお届けできませんでした。幸い敷地の向かいに老人介護施設がありましたのでそこのスタッフの方へお渡しして戻りました。
その後、私は集会室にいたご婦人方とお話を聞きました。またの機会に書かせていただきます。どこへ行っても胸が詰まる話ばかりです。
15時30分寒くなってきましたので店じまいをしました。
明日は、小学校へ行く活動です。荷物を片付けて積載して町役場の方を待ちました。鍵をお返ししてご挨拶をさせていただきました。ガス屋さんが引き取りに来られました。精算をして会場を後にしました。約50個のたい焼きを持って「丸森町災害救援ボランティアセンター」へ行き活動証明証に印鑑をもらいました。災害救援ボランティアセンターにしては大きすぎるほどのスペースがありました。(うらやましい)
災害救援ボランティアセンターのスタッフに見送られて今日の宿泊所のある亘理町へと向かいました。
到着するとすぐに食事に出ました。みんな元気で活動が出来て満足そうでY君、Tさん、私の家内、Kさんは満足そうに喉を鳴らしていました。もう一人のKさんは、本日のハンドルキーパーということで、ソフトドリンク飲み放題というおまけがつきました。目の前に出てきた料理は見る見るうちに片付いてゆきます。約2時間の 一次会の宴でした。
一日ご苦労さまでした。
《続く》
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松田 正徳 (木曜日, 19 3月 2020 00:11)
仮設住宅を戸別訪問 タイ焼きお届け してくれたのは 丸森に笑顔届け隊のサポーター 仮設住宅入居者です
うちのチームの炊き出しの時 毎回 お手伝いしてくださいます
ありがとう 風邪が治まったら 又来てね! 待ってます! また サポートさせて下さい 事前チラシポスティング可能です ありがとう(^人^)
丸森に笑顔届け隊 松田正徳
ざま災害ボランティアネットワーク (木曜日, 19 3月 2020 09:24)
松田様 本当にありがとうございました。このように、目立たないところで手を変え品をかけて支援活動を続けてくださっている皆様に感謝いたします。
熊本でも真備町でも、災害当初には、いろいろと活動をされているチームはおられますが、なかなか長い期間にわたって支援を続けてくださる方はおらないようです。私たちももっと頻繁には入れればよいのですが、資金の関係もあり年金生活者中心の活動部隊は難しいですね。でも、皆さんのような活動をされている方がおられますと助かりましした、これからも機会がありましたら現地にお伺いさせていただこうと思っています。健康にお気をつけください。コロナが終わらないと活動はできません。しばらくお待ちください。