10月22日 今日も晴天でした。
今日は、3か所の遺構を見学する予定です。新しい参加者もいますし、私自身も原発関係展示施設は見ていなかったので改めて学ぶ思いで参加しました。あの日、この区域はの住民の方々は、防災無線で直ちに町役場に集合するようにという連絡を受けたのです。私の知人の親族は、全く何も持たずに免許証、通帳、印鑑、保険者証もそのままに役場に集合して、とにかく「避難」ということでバスの旅が始まったと聞きました。
東京電力廃炉資料館は、見学は予約があった方が良いと聞いて前々日に連絡を入れました。午前9時からの予約を申し込みましたが、案内の方は、例の放水が始まってからは、海外の方の見学者が増えて、現在では22日は14時からのご案内になりますとの返事。やむなく、14時の予約を入れて現地入りをしました。
浪江町の請戸(うけど)小学校の災害保存遺構を見学することからスタートしました。ホテルを出て約1時間、請戸小学校に到着しました。最初の印象と全く異なり戸惑いを受けました。確か、発災から6年目の2017年の初夏に立ち寄ったと記憶しています。当時はまだ、解除準備地区というなんだかわけがわからない地域でした。従って、学校の施設内には入れないままに海岸から約300メートル程度のところに校舎が放置されていた感じでした。
今回は、保存されたものは現実に近い姿に戻されて装いも新たにたたずんでいました。早朝ということもありお客様も多くなく、ゆっくりと回ることができました。この学校(海抜3m)では、地震⇒津波という判断で残っていた80余名の児童は先生の誘導で学校から約1.3キロ先の小山(海抜43M)の地点まで避難して人的な被害はありませんでした。しかし、津波は学校の2階ベランダまで到達してしましました。それらの遺構が可能な限り正確にその場所に展示されています。この日は外が晴れていたのでより一層、明暗がはっきり浮かんで心に迫ってきました。
私自身は石巻の大川小学校や気仙沼市向洋高校跡地に建てられた伝承館を見てきましたのでここで何が起きたのかということのイメージだけは持っているつもりでしたが、ここでもこれだけの施設が破壊されてしまったわけで、津波災害の底知れぬ恐ろしさを新たにしました。写真を掲載しました。ご覧ください。
次の見学場所は、東日本大震災・原子力災害伝承館ですが、時間的に昼時ということで道の駅で食事をしました。ここにも多くの方が見学に来られていました。シラスどんぶりを食し、お決まりのソフトクリームをパクリとしました。突然、一緒に参加したHさんが置いてあったピアノを開けて、「まちかどピアノ」の演奏を始めたのです。彼女のことはまだよく知らなかったのですがこんなスキルを持っているのか?とちょっぴり感動しました。このような誰にでもできないスキルって災害の時には役に立ちます。磨いてい置いてください。
さて、次は、馬鹿に小ぎれいにデザインされた伝承館です。ちょっとやりすぎじゃないのという感じを持ちました。(全額国費)
展示場は、6つのエリアに分かれています。
- プロローグで導入のための映像が映し出され「お詫び」が表示されています。
- 災害の始まりでは、かねてより指摘されていた施設の強化策が行き届かなかったのだけど、想定外だったということに感じる構成でした。
- 原発事故の発災直後の対応についての資料が示さrていますが、私は、当時の最高指揮官たる首相がヘリに乗って現場に入るなんておかしな行動について絶対に許すべきではなくこのような指揮官が仕切ったこと自体が本当に今でもわだかまりを持ち続けています。特に、当時、阪神淡路の経験があるということだけでボランティア担当大臣と称する議員とのボランティアとの会議の一場面は今でも忘れないです。完全にボランティアを軽んじていたことは事実だと思うのです。
- 県民の思いとなっていますが、実は、私も含めて加害者だったのかな?という思いを持って生活をしています。東北のこの地に首都圏で使う電力を丸投げしておいて、東北の人たちはここで作られていた電力を一滴も使っていなかったのです。
- 長期化する原子力災害の影響と題された展示は、見るのも何だかおかしな感じがしてしまいました。だったら「止めろよ」というわけですよね。これだけの事故を起こしていても経営者としての刑事罰が無いという不思議なことがますますわからなくなってきました。
- 復興への挑戦は結構です。私の友人だって、ふるさとが消えてしまったわけです。挑戦は、原発をすべて無くし、代替の電力発電システムの開発に集中することだと思います。「廃炉技術を蓄積させる」というお題目を掲げていますが、他の原発は今のところは正常な状態で停止しているのだから、解体は技術的には問題はないはずですよ。問題は福島の原発と「もんじゅ」なのです。これを廃炉するのは今でなくても良いはずです。双葉郡の方々には本当に申し訳ないと思いますが「密封」する事しか道が見えないわけです。デブリを取り出したら、より一層危険な状態が起きるかもしれない。新しい技術が開発されるまで、チェルノブイリ原発のように石棺に入れて密封することが最優先だと思うのです。水の問題はありますが、いまの状況が許される範囲であればさらに自動化して放流するか、もっと有効に使う工夫を考える方が良いのではないかという思いを胸にわだかまりを残しつつ、今日の最後の見学場所に向かいました。
東京電力廃炉資料館です。14時ちょっと前に入館の手続きをしました。
完全ツアーは、1時間30分ということで予約が取れないのと、見学を終えて座間まで戻らなければならない時間の関係もありましたので1時間コースで説明を受けました。
はじめて、燃料棒のレプリカをみました。この棒が制御不能に陥って暴走してしまい、メルトダウンを起こし、おそらく格納容器の底部を溶かしてしまったわけですね。冷却水さえ確保できれば何事もなかったわけです。それが非常用電源が海側についていたしかも、原発本体よりも低かったわけです。不幸が続いたと言えばそれまでですが、繰り返すようですが、心ある社員が経営陣に向けて、施設の改善を求めたわけですが、それはあくまでも想定上の話と採用しなかったことが今日の自体を招いてしまったことは事実なのです。
このような事故を起こしても尚、多くの発電所は再稼働を求めるところか、政府は、当初のルールを曲げて耐用年数をのばすなどということを平然と行っているのです。我が国には火山もあります。島嶼国家ですので長い海岸線も持っています。波力発電、風力発電最近ではアンモニアを使った発電も出てきているのです。ここは、勇気をもって国民に不便な生活を課すかもしれないが、安全側に倒れる国つくりへ一歩踏み出すことが大切だと思うのです・・・まあ、ごまめが何を言ってもしょうがないのかもしれませんが不便を克服する中で人間は発達してきたはずです。
悲しい写真は見たくないです。
ちょっと思い気分で1泊2日の被災地支援活動は終りました。参加された方々がどのように感じて、もし次に何か起きた時に自分は、わが団体はどのような活動をするのかということを考える機会にして欲しいと思いながら戻ってきました。長い、距離を運転してくださったKさんありがとうございました。
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