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避難行動要支援者対象防災セミナー

 座間市とざま災害ボランティアネットワークの協働事業も計画通り進み、今回のセミナーは「避難行動要支援者対象」にした2階建ての取り組みを行いました。今回は、「災害を自分のこととして考えて」発災から少なくとも24時間は「自助」で乗り切ることをテーマに「座学」のコース、これを受けて11月9日に「実技」のコースを設定して「防災」の知識だけでは乗り切れない、「知識」を「技」に変えて身を守る行動を体験を通じて感じていただく企画で構成して臨みました。

 

 講師の宇田川氏は、常日頃から障がいのある方との接点の多い活動をされており横浜で「らんがく舎」という団体を運営しているほか、「夢かぜ基金」にも関与されています。講師は、長く被災地の中で、避難生活が思うようにできない方々の支援する活動にもたずさわってこられています。

 

 今回の能登地震でも被災地で高齢者、障がい者施設の中に入り、実態を見てこられてきました。講師が関わってきた、1995年の阪神淡路大震災、2004年10月の中越地震、2007年の中越沖地震と比較しても避難所をはじめ「災害弱書」に対する対応は、ほとんど変わっていないことを痛感したとの話がありました。さかのぼれば、関東大震災の避難所の写真と類似した現場さえあったと写真を投影して感想を漏らしていました。

特に、今回の能登地震では、2011年3月の東日本大震災と比較して、あの時には即時に、多くの支援者が入って様々な取り組みをされていたのに比べて見ると様々な要件が異なるという情報があっても、遅い、情報が出ない、活動が見えなということから今回の被災地のありようは、果たして進化したのかという疑問を持ったようでした。

 

 国は、東日本震災を境に、災害時要配慮者に対する課題を整理して、様々な仕組みを作って、登録制度、支援個別計画の作成について自治体に作成を義務付けています。しかし、その支援作業者として請け先として想定した地域の活動者の高齢化が進んだこと、市民の生活行動の多様化によって地域活動に関心を持つ人が少なくなってきていることなどにより本当に計画が機能できるのかという不安を持っているようでした。そこで、提言として示されたことは、障がい者、高齢者であっても災害発災時を乗り越えるための備えは欠かせない、登録したからと言って支援はすぐに届かないということを認識しなければならないことを強く指摘されていました。

 

 また、災害時に避難行動や生活ができにくい人の施設の運営に関わっている立場から、作業所、障がい者事業所、介護事業者は、災害があっても事業を継続するための事業継続計画(Business Continuity Plan)BCP計画を確実に立てておかないと、利用者、事業者、支援者、勤務スタッフを含めて「要配慮者」の支援ができなくなる危険性が大であることを話されていました。受講者の中には、事業者、作業所関係の方もおられました。万一、計画がなく事業を「継続することができない」場合には配慮が必要な方々を支える仕組みが壊れていしまい、その地域の利用者や、保護対象者の方の生活にも支障をきたすことになるので一日も早く備える必要があることを話されました。受講された事業者の方はどうでしょうか?

 

 能登半島の実情を見て感じたことは、とにかく「家に殺されない」ことであり家屋の耐震化が最大の優先事項であることと、日頃からの人と人とのつながりの強弱がその地域の災害時要配慮者の方が生き残れるかにかかってくるということ、こだわりの強い特性を持っている発達障害の方には、日頃から発災に備えての疑似体験をしておくことが有効だということを自分の施設を通じての活動体験から話されていました。

 

 第2部は、1部の講師の話を受けて、座間市の取り組みについて「ざま災害ボランティアネットワーク」の濱田が話しました。

計画では、災害時には二次避難所が要配慮者の受け皿になるということが定められているが、被災地での体験からみてとても即応体制はできないということが真の姿だと感じており職員向けの研修でも話をしています。例えば、座間市の例を取って数値で見える化した場合、行政職員数は約900名である。市内在住率は年々下がっており、おおむね40%である。となれば、災害が起きて参集がかかっても、全職員が被災していないと想定してでも即応参集人員は360名である。うち150名は消防関係者。残りの210名の職員のうち約90名は避難所開設担当職員、残り120名。うち緊急参集災害対応職員に指定されている職員を除くと、稼働職員数は70名を切るとみています。これが被災直後の想定だと思います。このことは、座間市のみならず近隣各市町も同様なことが起きるとみるのが普通だと思います。

 

 この数字を裏付けるような数値が本年1月1日の能登半島地震の時の、珠洲市の職員の初動参集率は約30%だったと報告されています。しかも、参集した職員の大半は家屋の何らかの被害が出ており家族のもとへ帰らざるを得なかった。結局は幹部職員のみが対応に当たったとされています。冷静に考えれば想像がつくはずです。熊本地震でも同様なことが報告されています。

 

 二次避難所というのは要配慮者の受け入れをする施設です。従って、通常の避難所よりマンパワーが必要になります。誰がその役を担うのでしょうか? 私たちは、一次避難所のバックヤード施設の充実を推進するようにあらゆる機会を通じて説明しています。さらに、「おうち避難のススメ」を市と協働で啓発に取り組んでいます。

家が安全ならばわざわざ、環境の悪い避難所へ来る必要はありません。避難所は、「バリアアリー」の世界なのです。階段があります。夜間の照明は乏しいです。簡単に食料や水も供給されません。

 

 発災から72時間はいのちの時間です。何よりも安否不明者、

救命救助活動が最優先となります。従って、生き残った人は行政に負担をかけないことが一番大事なことなのです。

それが要配慮者であっても、家が安全ならば6つの備えを確実にしておけば24時間ないし48時間は耐えられると思います。私たちは誰が「一番先」という考え方を変える必要があることを伝えました。

いまは、スマートフォンの機能が上がっています。情報を音声で聞いたり、文字や振動で感知できます。情報は登録しておけば自動的に入ってきます。スマホと予備バッテリーは親子の関係です。バッテリーが切れたスマホはただの箱です。予備バッテリーは必須アイテムです。

セミナーでは「家族防災会議議事録」という用紙を配布させていただきました。これには、家族で災害の時の話合いの記録を書き込むことができます。これを、コピーして持ち合うこと、電池が無くても「アナログ」の文字情報が一番役立ちます。

セミナーでお話させていただいた、①家に殺されない。②家具の固定と配置の確認、。③ガラスの飛散防止。④TVと大型家電の固定。⑤6つの備え。そして何よりも大事なのは、⑥「私はここにいます」ということを日ごろから周囲に伝えることです。民生児童委員の方から伺った話。登録された方のところへ訪問したら「来ないでくれ。何かあったら来てくれればいい」と・・・・これでは「受援力」が0です。災害時の避難行動をお手伝いしてもらうには「助けてもらいやすい力」➡「受援力」を高めることしかありません。自治会から退会しないこと。自治会の役員、当番は免除していただき会費だけ「安心料」として支払うことなのです。

 

 要配慮者であっても「自助60%」。すでに安易な「共助」はないということから「隣助20%」(向こう三軒両隣)での助け合いが全てということを伝え、かつ実践してもらおうということで取り組んでいます。

当然、市の職員は何よりも家屋の耐震化に取り組み、自身が行政職員であるということを家族にもしっかりと伝えて、自身がいなくても一定の期間は自宅に戻れないこと、家族だけで乗り越えるだけの備えを実践しておくことが必要なことも研修を通じて伝え、訓練に取り組んでいます。

 

 ある会議で、座間市の今回のセミナーの募集のチラシの文案を見ていただきました。うちの市町ではこのようなチラシは配れないと思うという意見を聞きました。これを聞いて座間市の危機管理力は強いと感じました。「本気だからです。」しかし、それでも市民をはじめ災害時の要配慮者の方々が行政に過分な負担を掛けないというところが肝心だと思っています。

 

 災害国日本。この国で生活をするということは他の国にない「覚悟」が必要なのです。

最後に、46億年という歴史を持っている地球には「カレンダー」はありません。「カレンダー」はあくまでも人間の都合で作られたものなのです。地震、噴火などは地球の営みなのです。このことを忘れてはいけないと思います。私たちは、わずか80余年という平均寿命をこの地球の上を借りて住んでいることを健常者も、要配慮者も改めて確認しなければならないと思うのです。

 

 定員満席のセミナーになりました。11月9日は今日学んだ知識を「技」に変えるための体験型発災対応訓練を行います。最後には皆さんで「災害食ランチ会」を開いて災害について雑談ができれば良いなーと思っています。

当事者の方、家族の方、支援者の方、行政職員のかた、団体、施設管理者、事業所管理者、スタッフの方々そろって参加してください。

あーあの時に、しておけばよかった…という声だけは聴きたくない。体制が整えばメンバー全員でお力をお貸しします。

#避難行動要支援者

#私を助けて

#災害弱者