夜半に小雨がちらつき心配しましたが、市民の皆さんの普段の行いが良いのか明け方には雨も上がり素晴らしいグラウンド7ンディションでスタートできました。
私たちの被災地支援活動は、2011年3月11日の東日本大震災を機にスタートしました。
発災直後の「タオル、毛布を送る活動」からスタートしました。秋田県大仙市の協力をいただき約1万8千枚のタオルと400枚の毛布を沿岸部の方々へお届けさせていただきました。
一段落して、被災地へ入るバスチームの一員として被災地へ入り瓦礫の後片付け、倉庫から流れ出てしまった冷蔵品の後始末などの作業に取り組んできました。その中で、もっと被災された方々に寄り添えないかということで「たい焼きプロジェクト」が始まりました。
第1回目の活動は、すでに活動を始めていた、横浜の「たい焼き」のS師匠に同行して、津波によってすべての町の姿が消えてしまった岩手県釜石市の吉里吉里地区の空き地をお借りして活動を始めました。8月15日初盆の日でした。津波で亡くなられたご家族、ご親戚の方々への仏壇に供えるものがないのではないかと真夏の「たい焼き」を行いました。汗を流しながらの「たい焼き」でした。
「たい焼き」が来たよ…と呼びかけると三々五々仮設住宅や仮住まいで生活されている方が並んで5枚、10枚と受け取ってくださいました。被災地には様々な支援の方法があると思います。翌日は山田町へ行きました。私たちは「たい焼き」にかけました。
帰京後、仲間に諮って活動を提案しました。、資金もなく賛同いただいた会員の方々や支援者の方のお力で1台のたい焼きの機器をネットで探し出すことからスタートしました。
それから、福島県大熊町から避難された原発被災者の方々の支援に取り組み、会津若松市、いわき市に通い続けました。また、東北の沿岸部の町々の出店を許可してくださった場所で皆様にお配りしてきました。
商業施設での販売促進のお手伝いをしてきました。
この活動資金を確保するために、座間市内をはじめお声掛けをいただいた市町で開催されるイベントへ出店させていただき「たい焼き」を焼いて販売させていただき資金を確保してきました。
その活動の中で知り合った、女川で被災されたYさんとのご縁で、座間市の中高生、大学生たちが津波に流された地に鍬を入れて活動を始めた高白浜へ4年間通い関係を築いた成果物が「女川のイチジク」だったのです。
13年目の今年は、このイチジクの縁をより深めるために「座間の名菓」となった「黄金の「たい焼き」」のお腹の中にイチジクのコンポートを詰めて販売させていただきました。
大盛況でした。販売開始と同時に行列ができて、種の仕込みのホイッパーが回り続けました。販売担当のメンバーは休む間もなく餡子3枚、クリーム2枚、コンポート1枚…「クリームの袋には黄色いシールが貼ってあります。コンポートには赤いシールです」「お熱いのでお気を付けください」と声をかけ続け、会計担当はお金のやり取りで息つく間もありませんでした。
水を運搬し、ごみを処理して、列が伸びると最後尾のプラカードでほかの出展者の方に迷惑が掛からないように取り組みました。
また、来店される普段から防災啓発活動でお世話になっている方々へ、被災地の活動や、イチジク物語をお伝え続けました。
気が付くと閉店時間になりました。活動履歴の短い会員の方が中心となっての活動でベテランの方々は大変だったと思います。
このようにして少しでも被災地の方々へ笑顔と元気をお届けしたいと思っています。
11月22日から能登半島の2回目の活動として輪島市へ入ります。
皆様からお預かりして「タオルパック」もたい焼きとともにお配りさせていただきます。
ご協力に感謝します。活動に参加してくださった会員の皆様ご苦労様でした。
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