28年度東北ボランティアバスツアーは無事終了しました

ゆめハウスの昼食 今日は「鰈の煮つけ」「肉じゃが」うまいっす。
ゆめハウスの昼食 今日は「鰈の煮つけ」「肉じゃが」うまいっす。
草むらの中にひっそりとある記念碑
草むらの中にひっそりとある記念碑

5回目の座間発東北サマーボランティアバス活動が8月7日無事に終わりました。

今年は、募集企画をざま災害ボランティアネットワークが担当させていただき座間市社会福祉協議会に共催をお願いする形で計画を進めておりました。ところが、例のよくわからない観光庁のボランティアバスは「旅行業法違反」というニュースと、業者を通さない活動に制限をかけるなどという情報が駆け巡り、一旦はどうしようかと検討をしましたが、平塚のK交通様の協力をいただき主催を担当してくださるということで募集を行うことにしました。

市内の高等学校をはじめ公共施設、タウン誌、ホームページ、フェイスブックなどに広告を掲載して募集活動を行いました。しかし、震災から5年4か月の記憶の風化は恐ろしく進んでいることがわかりました。さらに、熊本地震のボランティア活動に注目が行ってしまったこともあり締め切り日までに16名の応募がありました。最低催行予定人員は20名ということでした。参加者の名簿を見ると高校生や専門学校生の中には4回目の参加者や2回目の参加者もあり、アルバイト、塾、クラブの日程を調整したうえでの応募者がいることがわかりました。検討の結果、せっかく応募してくれた学生、社会人の方の思いを大事にしようということで催行を決定しました。結局、最終参加者は14名ということになりました。8月4日 21時に座間市社会福祉協議会を出発しました。

今回の活動の狙いは、発災以来支援をしている女川町の「ゆめハウス」でのボランティア活動、石巻市旧大川小学校の訪問、南三陸町の復興状況の見学、陸前高田市の奇跡の一本松周辺の復興状況の見学そして、町全体が流失・火災被害を受けた岩手県大槌町の語り部同行見学を通じて、この5年4か月東日本震災から立ち上がろうとしている町々の「今」を見て、空気を吸って、被災者の方々とお話をしながら「災害を自分のこととして考える」習慣を身につけるきっかけ作りを考えました。

翌朝、5時バスは石巻市の日和山公園を目指しました。日和山公園で朝食を食べながら展望台からあの日の石巻の状態を話す予定でしたが、老人クラブの方々の朝の体操に参加を誘われ全員で参加し交流をしました。ホンワカした楽しいひと時を過ごすことができました。その時の体操のあるポーズが今回のツアーの写真のブームになりました。山を下ったバスは新しい倉庫や加工工場が立ち始めた道を走って女川街道に合流し女川の医療施センターへと向かいました。

女川町に入ると道路の状況が大きく変わっていました。私は、3月に石巻から女川に入っていましたがその変わりぶりには驚きました。震災後には、ゴロゴロと転がっていたビルのがれきの地面から見た医療センターは見上げるほどの高さを感じました。しかし、今日の医療センターは手を伸ばせば届くほどの感じになっていました。道路の嵩上げが進んでいるのです。医療センターであの日、津波が到達した高さ表示を見学したのちに、敷地内にある慰霊塔にお参りをして女川駅へと移動しました。まだ朝早い駅前のショッピングモールは回転していませんでしたが「ダンボールギーニ」をウインドウ越しに見学することはできました。

バスは、女川駅から一路、今日のボランティア活動の基地となる「ゆめハウス」へ向かいました。荷物を下ろしてバスは仮眠のためにホテルへと向かいました。早速、ゆめハウスを主宰している八木さんと対面して作業を始めました。女性陣は、現在、ゆめハウスが取り組んでいる熊本支援のための商品の袋詰めとシール貼り作業、男性陣は隣接する農園のイチジク畑の草取り作業でした。東北では珍しいほどの暑さの中の作業でしたが、20分作業をして10分の休憩の原則を守り午前中の作業を終えました。

午後は、日差しが強すぎ熱中症の恐れもあるので、屋内で八木さんから、当時の話や、今日までの生活、地元が抱えている課題などを話していただきました。また、今回まで何回か訪れているメンバーが、当時の活動の現場を案内して苦労話をしました。日も低くなり夕食の準備にかかりました。夕食はBBQでした。大いに盛り上がりました。19時バスの迎が到着しゆめハウスを後にして宿泊先のエルファロに向かいました。

7月6日。今日も晴天です。食事を済ませて8時30分宿舎を後にして旧大川小学校へと向かいました。大川小学校は、8月の強い陽射しの下に往時の姿をそのままにいました。ここで何が起きたのかということを簡単に説明して各人が思い思いに見学することにしました。茨城県からバスで校舎敷地の草むしりボランティア活動の中学生がいました。この場に立つのは何回になるのか・・そのたびに、あの日ここであった出来事をイメージして自分ながら反芻して「防災教育」「災害対応力」の必要性を感じるのです。参加したメンバーも思い思いの場所に立って、残された遺構の中からのメッセージを聞き取ろうとしているように感じました。

バスは、45号線沿いに北上を続け南三陸町へ・・・私的には「志津川」の旧い呼称のほうがぴったりするのですが。町の姿は大きく変わり、例の防災庁舎も高く積み上げられた盛り土の中に埋まるように立っていました。安全確保のために庁舎のそばには近寄ることができなくなっていました。さらに北上を続け、今日の宿泊予定地である気仙沼市を通過して、陸前高田市に入りました。上長部地区の坂を下ると一本松が見えてきます。そこも通過して陸高未来商店街に到着。昼食です。私たちは、人気のお寿司屋さんの鶴亀寿司に入りました。おなかを満たした後は奇跡の一本松周辺の復興状況+災害遺構の見学をしました。

この場所もすっかり変わってしまい。盛り土を採取するために、高台の山から海岸に向かって作られていた、土を運搬するための空中コンベアーベルトやパイプラインが撤去されて、やけに空が広く見えました。何回か工事のために通路の付け替えが行われていた一本松までの遊歩道も整備されていました。一本松はシュルという感じで空に向かって立っていました。その向こう側には壊れたユースホテルの残骸がありました。左手には北に向かっておよそ10メートルの高さで伸びる防潮堤が続く景色がありました。思わず「海が見えない」と言ってしまいました。果たしてこれからこの場所がどのような街になり人々の営みが行われるのか・・なかなかイメージが浮かんできませんでした。旧道の駅とその前にある展示資料館の見学をしてバスは、今日の宿舎である気仙沼のホテルへと向かいました。

8月7日ツアーの最終日です。今日のコースはやや強行軍です。7時30分ホテルを出て一路三陸道を走り釜石市を経て大槌町へと向かいます。9時過ぎに、今日の案内をしてくださる「おらが大槌夢広場」の事務所に到着しました。担当者に挨拶を済ませて、今日の語り部ガイドさんの赤崎さんとあいさつを交わして大槌町の立体模型を使って当時の被災状況を話していただきました。赤崎さんもご自宅を津波で流されてしまって現在も仮設住宅で生活を続けている方です。体験者の口から語られる言葉を参加者は真剣な面持ちで聞いていました。

そのあと、町内を回りますが徒歩5分ぐらいの場所にある商店街を見学しました。朝早くの訪問でしたがお茶などを出してくださいました。給油作業を済ませたバスが戻ってきましたので乗車して町内を回りました。現在の町役場のある城山公園に上り墓地の上からようやく整地作業が進んできた街並みを見下ろします。何もない道路予定地の線で区切られた空き地が夏の空の下で光っていました。私は、被災後3か月の街並みを見ていますのでダブって思い出されました。その後、旧町役場へ向かいます。フェンスで囲まれた旧役場があります。時計は短針がさらわれて長針が20分を示しているようでした。14時46分に発災した地震による津波の最大波は約30分後にこの建物を襲ったのだと思われます。当時の、町の防災計画とは異なった行動をとったために町長以下管理職、職員が津波に呑み込まれ町の機能が失われたといわれているようです。計画は計画、訓練は訓練という動きがこのような被害をもたらせたといわれています。私たち団体も大槌町での支援活動には様々な思い出がありますがこれにつきましてはまたの機会にさせていただきます。

見学を終えて、依頼しておりました昼食の弁当を積み込み釜石市、遠野市を経由して一路座間へと走り続け予定通りの22時に無事に座間市社会福祉協議会の駐車場に到着をしました。

これから、参加者の方々からレポートが提出されることになっています。提出されたら整理して改めてご報告させていただきます。参加された皆様、本当にお疲れさまでした。