2024年1月に発災した能登半島地震そして9月の集中豪雨災害の複合型災害被災地である輪島市門前町福祉施設、そして穴水町由比ヶ丘 ボラまち亭さまの協力をいただいての活動でした。
ZSVNの「たい焼き隊」は昨年6月(七尾市・珠洲市)11月(輪島市町野町、門前町)に入って「たい焼き」配布活動をしてきました。
団体のパワーとしては、現地に根を張っての活動は困難ですので、断続的ですが長期にわたり活動を継続してゆく考えて取り組んでいます。
今回は、輪島市門前町にある社会福祉法人「ふれあい工房あぎし」様の協力をいただき、施設内の場所をお借りして同施設入居者(休日なので通所者には対応できませんでした)をはじめ、敷地内の仮設団地、近隣の在宅避難をされているかた、さらに、輪島市社会福祉協議会の協力を得て門前町近辺ににある老人福祉施設への「たい焼き」の提供を行いました。
3月21日 22時座間市を出発しました。時間調整をコンビニで行った後、現地へ到着して挨拶、打ち合わせを行い、9時から作業の準備にかかりました。今回のメンバーは8名です。
ふれあい工房あぎしは、市の学校統廃合の施設を再利用した法人のようで、身体障がい者の方の通所作業、施設に入居されて生活をしている方々の生活支援施設です。輪島市の中心部からはからはかなり離れていますが、門前町の里山の中の静かな場所にありました。海からさほど離れていないために風の影響を受けます。
施設の方に、昨年の地震の時の状況を伺いました。施設の地震で受けた補修工事も済んだようです。当日は正月元旦、入居者の方々はお正月を楽しんでいました。スタッフの数も限られた中での災害だったためにご苦労されたようでした。それでも、ようやく落ち着きを戻してきたようですが、まだまだ不安な気持ちを持ち続けている利用者の方もいうようです。https://www.47news.jp/11960606.html
今回の活動は、ZSVNの今後の活動を継続してゆくためにも被災地活動を体験したことのないメンバーにも積極的に参加を呼びかけました。新人会員の大学生のメンバーも参加してくれました。新しい感性で被災地をとらえるなど新しい感性を持って活動してくれそうなので将来が楽しみです。
焼き始めるとぼつぼつとお客様がおいでになりたい焼きを持って帰られました。
周辺の施設にある高齢者福祉施設とは、輪島市社会福祉協議会様を通じて、あらかじめ予約をいただいていました。作業は、順調に進み予約をいただいた分の「たい焼き」は保温用の箱の中にたまってゆきました。
私たちが、2011年の震災以降約13年間積み重ねてきた「たい焼きプロジェクト」のコンセプトは、被災された方々に「たい焼き」を通じて「笑顔と元気」をお届けして壊されてしまったコニュニティー再生に少しのお役に立てればと取り組んでいます。そのためにも、「たい焼き」を待っておられる方々の、時間と配布枚数の塩梅を見ながら作業をしなければなりません。
気温は心配したほど寒くなく、初めてのメンバーにも負担がなかったと思います。ときどき鳥の声や風の音が聞こえていましたが、昼を過ぎると日本海からの風が強くなり、テントの足に取り付けたアンカーの砂袋でロープをしっかりと締めなおしましたが、時折テントが浮き上がる瞬間がありました。手の空いたメンバーがテントの内側のフレームにぶら下がる態勢をとっていました。
どこの、被災地へ出向いても、「たい焼き」を提供する活動というと、冷凍の「たい焼き」を解凍してお配りするというように受け止められる方が多いのです。「えーっ。本当にここで焼くのですか」と言われる方もいます。どちらが良いのかは私たちには判断がつきかねますが、列を作って待っている間に、被災された方同士のコミュニケーションも取れます。暖かな雰囲気を醸し出すきっかけになればと思いながら焼き続けてきました。
一日目の活動は、15時の終了予定時刻になりましたので、明日の活動に備えながら使用した機材を洗浄、消毒を行い格納し、テント,焼き台を解体して車に乗せて作業場所としてお借りしたスペースを清掃して終わりにしました。
参加者全員で写真を撮っていただき辞去しました。
今回の宿舎は、七尾市にある「別荘」形式の建物を借り上げての連泊でした。今回の能登半島には宿泊する施設も被災して、残っている施設も工事関係の方々が押さえておられるのでボランティア活動はかなり不自由になります。
この施設は6月の活動の際にも利用させていただきました。市内は、水の利用を控えることから、8人でそろって銭湯に、その後、夕食を食べながら今日1日の活動の意見交換をしました。初めて参加したメンバーはかなり疲れたようでしたがこれが活動後の充実した至福の時です。
翌日23日は、穴水町のレスキューストックヤード(以下RSY)の活動拠点のある穴水町陸上競技場のスタンドしたに開設された「ボラまち亭」の事務所前に向かいました。能登の内海には穏やかな景色があります。穴水町は牡蠣が有名です。
RSYには様々な地域からの支援者が入っています。事務所で今日の活動の打ち合わせの後、由比ヶ丘仮設団地の第2集会場前にテントを張って作業の準備を始めました。敷地内のあちこちにZSVNが送って貼っていただいたポスターが張られています。私たちの活動によって受け入れ機関に迷惑をかけないようにすることも私たちのスタイルです。
するとどこからともなく人々が出てきて並び始めました。皆さんに挨拶をして「お約束の時刻は9時半過ぎなので、寒いところに立っていないで集会場中や自宅で待っていてください」と伝えると、「楽しみにしていたので食べられないと残念だから早く来た」とか、「こうやって並びながら話をするのが好きなので気にしないで準備してください」と激励を受けました。集会場の管理人と思われる方が「整理券があるので渡して解散してもらえば・・・」とアドバイスをいただきカードをお貸しくださいました。大まかな時間を伝えながら「大丈夫。皆さんにはちゃんと渡せるだけの材料を持ってきているから・・・」と伝えながら配布しました。50枚の整理券はすぐになくなってしまいました。
今日の活動は、仮設団地に入って生活をされている方は無論のこと、このような大きな団地には様々なイベントが入るが、穴水町の仮設団地は広い場所が少ないので、小さい仮設団地が点在しています。また、山の奥の方の集落では、近所が集まって助け合いながら在宅避難生活をされている方もいるようですので、RSYに小さな仮設や在宅避難集落にも配達の協力をお願いしておきました。
仮設で並んでいる方へ配布する傍ら、配布用のストックもしなければなりません。「たい焼き」の名人のYさんもいつになく真剣な表情で焼き続けています。9時30分の約束の時間にはテントの前には長蛇の列ができました。いつものことながら黙っていても整列する日本人の姿には感動します。
盛況なうちにどんどんさばけて行きました。様々な方がおられます。今回は、天気も良かったので、並ぶ方が多かったので「ご家族分・・・」ということでお配りしましたが、しかし、一度受け取って自宅に戻ってまた並ぶ方もおられましたが、それはすべてご本人のお気持ちにお任せしました。小さなメモをそっと差し出して、おいしかったので動けない義理の姉にもやりたいので1枚欲しいというリクエストもありました。そっとお渡ししました。
RSYの方々は、運搬用のケースを持って次々と配達に出てくださいました。
一人の女性が近寄って来られ、「自分はこのブロックの区長を任せられているのだけど、今、自分の担当の住宅を回ってきた。「たい焼き」をいただいている家も確認してきた。しかし、独居で足が不自由で外に出てこられない人もいるので、この人の分をいただけないか? 私が責任を持って配るのでお願いします」という話がありました。手には自分の担当地区の住宅の図面をもっていてチェックがしてありました。早速、15,6枚をお渡しし持ってこられた箱の中に入れて差し上げました。
上の方から、一人の男性が来られました。「私は〇〇仮設団地の〇〇と言います。自分の仮設にも皆さん方が作られたポスターが貼りだされていたので区長に希望をとってもらいに行こうと呼びかけたが、動かないので代表してきたのだけどおもらえないか?」という話でした。状況はわかりましたので予約時間を打ち合わせてお帰りいただき、再度、約束の時間に持ってこられた箱に「たい焼き」を入れてお渡ししました。
顔がよくわからない地区の方々が災害という災いの中で隣同士になる。地縁の絆の強い土地柄だけに集落が解けてしまうとなかなかなじめないようです。
私たちが、2011年3月の東日本大震災から始めたこの活動ですが、熊本地震、北部九州水害、西日本水害、宮城県丸森町水害などの被災地に入って「たい焼き」を焼き続けてきましたのは、ここに目的があったのです。
行政は発災直後から、避難所、罹災証明交付、仮設住宅入居・・・などの一連の手続きを限られた人手でかかりきりになります。従って、仮設住宅へ被災者の方を入居させると、それ以降のサポートは薄くなってしまいます。これは、だれも責めることができない現実です。
特に、私たちは福島県の大熊町の避難者支援活動に関わってきたことで、このことは強く心に残っています。被災地の後片付けはボランティアの方々の大切な仕事だと思います。私たちも最初はここからスタートしました。でも、被災地の片づけが終わると少なくなるボランティア活動者の姿を見ると何かむなしさを感じてしまいました。本当に支援が大事なのはここからではないのか?と思いながら、「たい焼き」活動を継続的に、かつこの活動に特化しようと腹を括って今もなお取り組んでいます。これからも、被災地の方々が受け入れてくださるならば、体力、気力、資金が続く限り続けて行きたいと思っています。たった1個の「たい焼き」を1時間以上並んで頬張り涙を流してくださったおじいちゃんの顔が忘れることができません。
このようなことを書くと失礼になるかもしれませんが見てきたことの一部です。県内差別行動が見受けられた会津若松の仮設住宅で、浜通りから避難してきた人々が「たい焼き」を食べながら涙を流して「私たちが何を悪いことをしたの?」と抱き着いて泣いてきた女性の姿、おじちゃん「これいいでしょう」と幼子の首にかけられた線量計のペンダントを見せてくれた女の子の顔を今も忘れることができません。被災地とはこのようなものなのかを学びながら伝える活動に取り組んできました。そして、これは「今、もし」が神奈川で起きれば同じことが起きる可能性があることを覚悟していなければならないと思います。
こうして、23日の活動も無事に終えることができました。活動者の中の3人の現役メンバーは着替えもそこそこにタクシーに乗り込んで能登里山空港に向かいました。ご苦労様でした。
22日、23日 二日間の活動では、輪島市門前で約780枚、穴水町では820枚 併せて1600枚を提供させていただきました。お疲れさまでした。RSYのスタッフの方と撮影をしたのちに宿舎の七尾に向けて戻りました。
24日は宿舎を引き払って、再び穴水町に向かいました。私たちの活動団体である公益社団法人SL災害救援ボランティアネットワークが、石川県応援のために県の公認キャラクター「ひゃくまんさん」の使用許可を受けて制作して募金活動をしています。その、一部を 活動支援金としてお渡しするためにお伺いしました。
お伺いすると開口一番「昨日は上の方まで「たい焼き」をお配りいただいてありがとうございました」とのご挨拶をいただきました。私たちはその声で疲れが飛びました。
「元気と笑顔」をお届けするというのが私たちのコンセプト。見事に役を果たせたと思いました。スタッフの方もお忙しいようでしたので立ち話になってしまいましたが、穴水町は県内でも最速の復旧のペースで進んでいるようです。公費解体もかなりの速度で進み、町のあちこちに空き地あ見えてきました。何がその力になっているのかはわかりませんがJRの鉄路があるだけでこれだけ違うのかなと思いました。日本有数の温泉地である和倉地区の工事も軌道に乗って今年の秋ごろからは営業が再開できるようなお話も伺いました。お忙しい中気持ちよく対応してくださった職員の方々に感謝いたします。
帰路、能登島にわたって見学をしてきました。車を走らせても人影が見られないさみしい風景でした。私も昔から何回かこの地域を訪問させていただいています。あのころの賑わいの姿から見ると本当に心細くなるような感じでした。観光に少しでも貢献しようと牡蠣小屋に立ち寄り牡蠣を食してきました。
こうして、第3次の「たい焼き」活動は終わりました。今回の活動には福祉関係の大学で勉強している女子大生が参加してくれました。彼女は中学2年の時に座間市社会福祉協議会の防災イベントへ参加したことをきっかけに交流が始まり、しかし、勉強のこともありしばらく連絡が途絶えていましたが昨年突然、ざま災害ボランティアネットワークで活動をしたいということでメンバーになった経緯があります。
さすがに現代っ子。スマホは目をつぶっていても操作できそうなキャラです。今後は、私たちの団体の情報発信担当として活動してもらおうと思っています。若い力を取り入れるには若い力が必要です。期待しています。
さて、第4次活動も計画に上がりつつありますが、夏の活動は危険なので、今年の秋に向けて計画をしてゆきたいと思っています。その時には、復興に向かう能登半島の姿を見てみたいと思っています。新人会員も「たい焼き」を焼けるように鍛えてゆきたいと思います。資金もためなければなりません。
参加してくださった皆さん、そして、今回の活動の仲立ちに入ってくださった横浜のYさん。実は、そのきっかけは30年前の阪神淡路大震災にあることは別の機会に書かせていただきます。つながることの大切さをしみじみと感じながら書かせていただきました。レスキューストックヤードの皆様に感謝いたします。またお会いしましょう。 私もさすがに疲れを覚える歳になったようです。メンバーの皆さんありがとう。
#能登支援活動
#ボラサポ助成金活動
#「たい焼き」プロジェクト
#ざま災害ボランティアネットワーク
#公益社団法人SL災害救援ボランティアネットワーク
この活動は共同募金会NPO活動サポート募金の支援を受けて行っています。今回の活動は3次計画による活動です。
























































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